後輩
先輩
後輩
たぶんこのサイトを訪れてくださる方は、漢文を書く方法を知りたくてうずうずしてゐることでせう。
ですがその前に「そもそも漢文つて何?」といつた所を押さへる必要があるんぢやないかと思ひます。
といふわけで、漢文の具體的な書き方に進む前に、漢文の特徴について確認しておきませう。
▼前知識が不要な方はこちら。
漢文を書くときの大まかな決まり、言葉の順番について
漢文とは、すごく大雜把に言ふと「昔の中國語」
あたり前すぎる事實ですが、漢文は中國語表記の1種です。
ただし現代では口語體(白話文といひます)に置き換へられてしまひ、存在感はほとんどありません。
漢文は基本的に漢字だけで書かれる
これまたあたり前すぎる事なんですが、漢文は漢字だけで書かれます。
日本語のやうに「ひらがな・カタカナ」が付いたりしません。
また、句讀點「、。」や疑問符「?」などの記號類(役物と言ひます)も、普通は書かれません。
ただし近現代においては、役物付きの文も書かれます。
特にWeb上での文章では顯著です。
筆者もパソコンで漢文を書くときは積極的に約物を使つてゐます(手書きの日記は使はない)
もちろんこのサイトでも使ひます。
みなさんも漢文を書くときは約物を使ふことをオススメします。
書く側としては文章の整理をしすく、讀む側も文の切れ目とかが分かりやすいですしね。
中國では、現代の書籍やWebでは疑問符「?」や感嘆符「!」が普通に使はれてゐます。
たとへ何千年も前の漢文であつてもです。
その點で見れば、日本はやや保守的ととらへることができますね。
東アジア共通の筆記言語だつた
大昔から近代まで、漢文は東アジアにおける共通語の役割を果たしてゐました。
西洋におけるラテン語、または現代における英語のやうな立ち位置です。
上天眷命
大蒙古國皇帝奉書
日本國王朕惟自古小國之君
境土相接尚務講信修睦
(以下略)
『蒙古國牒状』
これは『蒙古國牒状』といつて、元寇の時にモンゴルのフビライが日本の朝廷や幕府に送つた書状です。
何が書いてあるのかよく解りませんが、とにかく漢文で書かれてゐることは分かりますね。
普通ならフビライが母國語のモンゴル語を使ふか、相手に合はせて日本語で書くものを、わざわざ漢文で書いてゐます。
このやうに漢文は外交文書に使へる共通語で、漢字文化圈の人なら、漢文で意思疎通ができました。
後輩
先輩
中國人と日本人とでは、「漢文」の指す意味が違ふ
東アジア共通語の漢文ですが、その呼び方については中國と日本とで違ひがあります。
日本で「漢文」とは「現代中國語で書かれてゐない昔の文」といつた意味になりますが、
中國で「漢文」と言へば「漢の時代に書かれた文章」になります。
では中國人は漢文のことを何と呼んでゐるのかといふと、「文言」とか「文言文」。あるいは「古文」などと呼んでゐるさうです。
中國人と漢文について話し合ふときは、注意しませう。
言語的な説明
鎖の漢文、キーホルダーの日本語
言語學の世界において、世界の言語は、その文法に應じて4つに分類されます。
- 孤立語:中國語(漢文含む)、チベット語など
- 屈折語:ヨーロッパ諸語(英語など)、アラビア語など
- 膠着語:日本語、朝鮮語、トルコ語など
- 抱合語:アイヌ語など
後輩
このへんの話は難しい(筆者も細しくは知らない)ので、だいたい上のやうな大雜把な理解でよいかと。
日本語は助詞「は・の・を」などのおかげで語句の順番をある程度自由に入れ替へることができます。
まさにキーホルダーのやうですね。
中國語は日本語の助詞にあたるものがなく、全てが漢字で構成されます。
そのため下手に語順を入れ替へると意味が分からなくなるんですね。
まさに鎖のやうに語句の順番に決まりがあるのです。
漢文も語順が必ずしも完全に決まつてゐるわけではなく、語句の入れ替へ(倒置)がしばしばあります。
漢文は國語(日本語)か? 外國語か?
どつちなんでせうかね? コレ。
國語(古文)の教科書に載つてゐるので、「漢文は國語の中の1ジャンル」みたいな意識があるかもしれません。
たしかに漢文は日本語や日本文化に深く根付いたものですが、元々は中國人が中國大陸で作つた外國語です。
なので書くときも讀むときも、そのへんのスイッチを切り換へなければなりません。
まるで英語や中國語を讀み書きする時にやうに。
筆者は漢文のことを、最も日本語に近い外國語であると認識してゐます。
たぶんこの解釋が、いちばん實態に近いのではないでせうか?
先輩
漢文は「作られた言語」
日本語も現代中國語も英語も、文字や文明ができる以前から人々に話されてきた言語で、これを自然言語といひます。
逆に比較的最近になつて、特定の個人や組織によつて作られた言語のことを人工言語といひます。エスペラント語なんかがソレです。
漢文はどうでせう?
一見すると自然言語つぽいですが、どうもさういふわけには行かず、そのへんの事情は複雜だつたりします。
たとへば日本語には方言がありまして、關東と關西とではかなり差があります。
青森らしい看板見つけました pic.twitter.com/Zs71vd8aa7
— リツ (@litz331) July 3, 2019
このやうに同じ言語でも、地域が離れるほど微妙な違ひが生じていくわけです。
このくらゐの差異なら……まあ讀むのに問題は無ささうですけどね。
中國大陸は日本と比べ物にならないほど廣く、それによつて生じる言葉の違ひもまた大きい。
現代でも華北(普通話)と華南(廣東語)とでは別言語と言はれてゐます。
おそらく古代でも言葉による意思疎通に難があつたことは、容易に想像できます。
「口ではどうしても傳はらない。せめて筆談だけでも…」
古代人たちのそんな需要があつて、漢文が形成されていきました。
このため漢文は人工的な要素を持つてゐるわけです。
またその成立過程により筆記に特化した言語でもあります。
そのせゐか、漢文は自然言語とは違つて極端な文法的例外が少ない印象があります。
先輩
東洋的な美意識の話
とにかく「短く」「簡潔に」
一般的に、東洋と西洋の言語表現には以下のやうな違ひがあると言はれてゐます。
- 西洋:あらゆる言葉を用ゐて、全てを語りつくす。
- 東洋:多くを語らず、言葉の裏に眞理を忍ばせる。
たぶん多くの人が同意するところだと思ひます。
たとへば以下に孔子と古代ギリシア哲學者のヘラクレイトスの言葉を竝べて引用してみました。
この2つの發言はともに同じ内容のことを言つてゐます。
比較のため、どちらも現代譯です。
「過ぎゆく者は、この川の流れのやうなものであらうか。晝も夜も休むことがない。」
『論語・子罕篇』
「川の流れに足を踏み入れ、さらにもう一度、同じ流れに足を踏み入れようとしても、それは不可能である。なぜなら、最初に足を踏み入れた時の水は既に流れ去つてをり、次に踏み入れたときの水は、先ほどの水とは別物だからだ。水は滔滔と流れて留まることはなく、前の水は流れ去り、後の水が流れて来て、終はりがあることはない。これは水だけの話ではなく、私自身の肉體も常に變轉してゐて、不朽のものではない。かうして見れば、私自身は果たして存在してゐるのか、存在してゐないのか。それさへ分からぬとは、なんといふ悲哀だらうか!」
『中江兆民全集4』岩波書店、115頁
これらの引用は以下のサイトから。
参考 漢文の魅力(『論語』を例として)日本漢文の世界リンク先ではもう少し詳しい解説があります。
興味がある人は暇な時にでもどうぞ。
閑話休題。
とにかく漢文では長つたらしく書くことは野暮。
サクッと書くことが重要です。
簡潔を好む漢文ですが、例外もあります。
たとへば註釋。本文の解釋が分かりづらい場合などに、文の意味を明確にするために字句を足すことがあります。
他にも音讀したときのリズムを整へるために、わざと無意味な字を割り込ませたりもします。
まとめ
以上、漢文にまつはる豆知識なんかをお傳へしました。
先輩
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先輩
次囘からは本格的に書くためのノウハウを垂れ流して行くつもりです。
漢文を書くときの大まかな決まり、言葉の順番について