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前囘の人稱代詞に續いて、今囘は指示代詞について書いていきます。
▼筆者がよく使ふ指示代詞まとめ
- 「これ・この・ここ・ここの」は「此・是・之」
- 「あれ・あの・あそこ・あそこの」は「彼・其」
- 「不特定の誰か・何か」は「或・某」
- 「ほかの・それ以外の」は「他」
- 「誰も~ない・何も~ない」は「莫」
▼人稱代詞の記事
人稱代詞(人稱代名詞)について
代詞とは
代詞(代名詞)とは「わたし・あなた・かれ」とか「これ・そこ・どれ・そんな」などの言葉です。
英語だつたらI You He Sheなどにあたるもの。
これが使へないと、作文の幅はかなり制限されることでせう。
代詞は更に人稱代詞と指示代詞に分かれます。
- 人稱代詞:わたし、あなた、彼など。人物に關するもの。
- 指示代詞:これ、あれ等、モノに關するもの。
この記事では指示代詞について書いていきます。
※代詞とは代名詞のこと。人稱代詞とは人稱代名詞のこと。このサイトでは漢文における代名詞のことを代詞と言ふことにしてゐます。
指示代詞の一覧
字 | 種類 | 韻 | ピンイン | 主格 | 所有格(定語) | 賓格 |
此 | 近稱 | 仄 | ci3 | ○ | ○ | ○ |
是 | 近稱 | 仄 | shi4 | ○ | ○ | ○ |
斯 | 近稱 | 平 | si1 | ○ | ○ | ○ |
之 | 近稱 | 平 | zhi1 | ○ | ○ | ○ |
爾 | 近~中 | 平 | er2 | ○ | ||
其 | 中~遠 | 平 | qi2 | ○ | ||
彼 | 遠稱 | 仄 | bi3 | ○ | ○ | ○ |
夫 | 近~遠 | 平 | fu2 | ○ | ||
乃 | 遠稱 | 仄 | nai3 | ○ | ||
或 | 虚稱 | 仄 | huo4 | ○ | ||
某 | 虚稱 | 仄 | mou3 | ○※ | ○ | |
他・佗・它 | 傍稱 | 平 | ta1 | ○ | ○ | |
莫 | 無稱 | 仄 | mo4 | ○ | × | × |
用例が確認できた場合のみ○を付けた。なので○が付いてゐない所は筆者が未確認なだけで、實際の漢文では使はれることがあるかもしれない。
※…虚稱の指示代詞としての「某」が主格として使はれる例は未だ見えず。但し一人稱代詞としての「某」が主格に用ゐられる例はあつたので、これより推測して○とした。
指示代詞と三人稱代詞は通ずるところあり
後輩
先輩
特に遠稱の「アレ」を意味する「彼・其」などは、三人稱の人稱代詞と同じやうに使へます。
實際の漢文でも「これは指示代詞として讀むべきか? 人稱代詞か?」などと惱むことがあり、かなり混然とした使はれ方をしてゐる印象です。
近稱と遠稱。「コソアド」のこと
コレ | コノ | ココ | ココノ |
ソレ | ソノ | ソコ | ソコノ |
アレ | アノ | アソコ | アソコノ |
ドレ | ドノ | ドコ | ドコノ |
學校なんかで「コソアド言葉」といふのを習つたことがあるでせう。
漢文にもそれと同じ働きを持つ字があります。
先輩
「これ・この・ここ・ここの」を表す近稱「此・是・斯・之」
〔漢〕此其大暦也。
〔日〕これがその大まかな數である。
〔漢〕此人後生無比。
〔日〕この人は若者の中でも比べられる者がゐない(ずば拔けてゐる)
〔漢〕吾曷以識此?
〔日〕私はどのやうにしてこれを理解しようか。
「これ」を表す例文を擧げてみました。
この近稱の指示代詞は以下のやうな事を表現可能です。
- 人物を指す:この人・この方
- 事物を指す:これ・この物・この動物
- 事柄を指す:これ・この事例・この場合
- 時間を指す:この時・この日・これ(から/まで)
- 場所を指す:ここ・この場所・こちら
- 状態を指す:このやうに・このやうな
實際の漢文では多く「此・是」が使はれてをり、筆者もそれに倣つてゐます。
「斯」は用例が少ない印象。
ただし賓語として使ふ場合は「之」を使ふ場合もあります。
「之」は形式的な賓語として使はれることもある
〔漢〕民善之則畜也。
〔日〕民がこれをよいと思ふなら(私も)うれしく思ふ。
「善」には多くの意味があり、「よしとする」といふ動詞の意味のほか、「よい」といふ形容詞の意味もあります。
なのでもし「民善則~」と書かれてゐたなら「民が善良ならば~」と讀まれる可能性があり、作者の意圖が傳はらないかもしれません。
このやうな時に「之」を、その動詞の後ろに付けて「この字は動詞ですよ」と讀者に指示することができれば大丈夫ですね。
〔漢〕我見相如,必辱之。
〔日〕私は蘭相如に會つたら、必ず彼を辱かしめよう。
また、同じ動詞でも「之」を付けることにより、「この字は他動詞ですよ」と明示することも可能です。
例文では「辱」がその動詞ですが、この字には「はづかしめる」といふ他動詞の他に「はづかしめられる・恥づかしく思ふ」といふ自動詞として使はれることがあります。
なので「我見相如,必辱」とすると「私は蘭相如に會つたら、必ず辱かしめられる」と、誤解されかねません。
先輩
「此・斯」と「是」とは、何かが違ふ説
いくつかの研究によると、同じ指示代詞でも「此・斯」等と「是」との間には、なにか微妙な違ひがあるんぢやないか、といふ指摘が見受けられます。
まだその論文を十分に讀めてゐないので、今のところはあまり突つ込んだ事を書かないでおきます。
後輩
「あれ・あの・あそこ・あそこの」を表す遠稱「彼・夫・其・乃」
この遠稱の指示代詞は以下のやうな事を表現可能です。
- 人物を指す:あの人・あの方(三人稱代詞的な使ひ方)
- 事物を指す:あれ・あの物・あの動物
- 事柄を指す:あれ・あの事例・あの場合
- 時間を指す:あの時・あの日・あれ(から/まで)
- 場所を指す:あこ・あの場所・あちら
遠稱でよく使はれるのは基本的に「彼・其」で、筆者もこれに倣つてゐます。
遠稱「彼」
〔漢〕徒取諸彼,以與此。
〔日〕ただあの國から奪つて、この國に與へる。
「彼」は單獨で主語にも賓語にも使へますし、「彼○○」のやうな形でも大丈夫です。
例文でも書かれてゐますが、指示代詞の「彼」は、「此」と對比する形で使はれることが多い印象です。別に單獨でも大丈夫ですが。
ただし文中で「彼⇔此」の對比はあつても「彼⇔是」の對比は見たことありません。
ちなみに人稱代詞としての「彼」に對するのは「我」。
「アレとコレ」「ワタシとカレ」を文中で對比させる場合は注意しませう。
主に定語(所有を表す語や修飾語)として使はれる「其」
〔漢〕下視其轍。
〔日〕(車から)降りてその(敵軍の)轍をみる。
指示代詞としての「其」は、「彼」に比べると用例は多いですが、ある制限があります。
その制限とは專ら定語として使はれるといふことです。
定語とは、名詞に付く修飾語、すなはち連體修飾語のこと。
後輩
〔漢〕其來不可圉,其去不可止。
〔日〕その(外から)來るものは防ぐことができないし、その(内から)去るものは止めることができない。
こんなふうに、名詞化された部分に付けるのもアリです。
例文では「來るもの」「去るもの」と、それぞれ動詞が名詞化されてゐますね。
それに「其」を付けて「その來るもの」「その去るもの」です。
- 其 + [謂語]
- [謂語] + 其
つまり「其」を使ふときは、このやうな形ではなく
- 其[名詞・名詞句] + [謂語]
- [謂語] + 其[名詞・名詞句]
かう書くことがほとんどです。
日本語でたとへると
- ×「それが・それは」「それを・それに」
- ○「その~が・その~は」「その~を・その~に」
こんな感じ。
先輩
選擇「その中の~個」
〔漢〕擇其一二,扣之。
〔日〕その中の1、2の石を選んで、それを叩いた。
數詞(數字)の前に「其」を置くことで、こんな便利な表現ができます。
「擇一二於此内」「自此中擇一二」のやうな冗長な文を書かずに濟むでせう。
不特定の何かを表す虚稱「或・某・甲」
- どこかの誰か・何か
- 誰々さん
- とある人・モノ・年月日・時刻
不特定な人・モノを示したい場合は「或・某・甲」が使はれます。
不特定な個人・集合「或」
〔漢〕或問禘之説。
〔日〕ある人が禘祭について質問した。
この「或」は、壓倒的に主語として使はれてゐる印象です。
賓格はもちろん、「ある人の~」といつた所有格としても、未だ見たことがありません。
一般化・普遍化「誰でも・いかなる人でも」
〔漢〕物或惡之。
〔日〕(武器のやうな)ものは誰もがそれを嫌ふ。
「人類みな~である」のやうに、普遍的な事を述べたい時に使へます。
副詞「皆」などと意味的には似てゐますね。
自由に書き替へられさうですが、注意點として、以下があります。
- 〔1〕「物或惡之」→「ものは誰もがそれを嫌ふ」
- 〔2〕「物皆惡之」→「ものがすべてそれを嫌ふ」
〔1〕は「ものについて言へば、誰もが~する」となり、「物」が主題主語として分かりやすいのですが、
〔2〕のやうに書くと「ものがすべて~する」と解釋される。つまり「物」が施事主語として讀み取られる可能性があります。
竝列と列挙「あるいはA、あるいはB」
〔漢〕或謂寡人勿取,或謂寡人取之。
〔日〕ある人は(燕を)併合するなと言ひ、ある人は(燕を)併合せよと言ふ。
「或」の文を2つ竝べて「或A,或B」として列擧することが可能です。
下記の文章は全て「或A,或B」で表すことができます。
- 〔人物〕ある人はA、ある人はB
- 〔事物〕あるものはA、あるものはB
- 〔場所〕ある所はA、ある所はB
- 〔事例〕ある場合はA、ある場合はB
3つ以上を列擧する場合も理論的には可能だと思ひますが、その事例は未確認です。
恐らく3つ以上を竝べるとクドくなるからでせう。
さまざまな概念をはぐらかす「某・甲」
〔漢〕子告之曰:「某在斯,某在斯。」
〔日〕孔子は彼(盲人)に告げて言つた「誰々がここに居ます、誰々がここに居ます」
〔漢〕前時某喪,使公主某事。
〔日〕以前のとある人の葬儀では、貴方にとある仕事を任せた。
特に「某」は、日本語でも使はれますね。
後輩
- 〔1〕「それ」についてハッキリ分かつてゐないから、仕方なく伏せておく
- 〔2〕「それ」について分からないけど、知つたところでどうでも良い情報だから伏せておく
- 〔3〕「それ」について分かつてるけど、敢へて伏せておきたい
この代詞は、このやうな場合に使ふもので、人・モノ・場所・時間、その他いろんな事に使へます。
まあ、だいたい日本語と同じ感覺で使つてよいせう。
「甲」も「某」と同じ意味の代詞として使用可能で、「某甲」と2字を併せても大丈夫。
實際の漢文では殆どが「某」が使はれてをり、筆者もそれに倣つて「某」を使つてゐます。
また「某」は謙遜の意味を持つた一人稱代詞としても使へます。
おそらく「どこの馬の骨とも分からぬ私なんかが……」みたいなニュアンスなのでせう。
一人稱代詞としての「某」が使はれるのは、手紙や對話の中。
つまり相手の存在が明確化された文脈で用ゐられるわけです。
「ほか」を表す傍稱「他・佗・它」
〔漢〕王顧左右而言他。
〔日〕王は左右を見て別の話題を言つた。
例文では賓語として使つてゐますが、單獨の主語として使はれてゐる例は未確認です。
先輩
先輩
それぞれの字の使ひ分けといつても、特にありません。
「他・佗・它」はいづれも發音が同じなので、通用することができるからです。
後輩
- 他の人→他人
- 他の日→他日
- 他の考へ→他意
またこの字は多く定語(修飾語)として使ふことが可能です。
どんどん使ふとよいでせう。
「無いこと」を表す無稱「莫」
〔漢〕遠方莫不致其珍。
〔日〕遠方でその地の珍しい産物を送らない所はない。
後輩
先輩
この無稱といふものは、日本語には無い概念なので、注意する必要があります。
無稱とは
『漢辭海』に書いてある「莫」の説明を要約すると以下のとほり。
- それ自體が人や事物・場所の存在を否定する。
- 主語にのみなり、謂語の前に置く。
- ふつう話題の内容を限定する何らかの語を前に置く。
「不存在・無いこと」を表すから無稱といふんですね。
また『漢辭海』は英語と日本語の譯として、以下のやうに説明してゐます。
- 〔人物〕nobodyに相當。誰も~ない。~する人がゐない。
- 〔事物〕nothingに相當。何も~ない。~するものはない。
- 〔場所〕nowhereに相當。どこにも~ない。~する場所がない。
この説明の方が理解しやすいでせう。
後輩
話題を限定する語について
話題の内容を限定する語が付いた場合、その語が主部になり、入れ子の文になります。
- 莫不致其珍 / 特産品を送らなかつた所はない。
- 遠方[莫不致其珍] / 遠方では[特産品を送らなかつた所はない]。
遠方が主部、緑の[]に入つた部分が謂部になつてゐるのが分かりますね。
無くてもよい
〔漢〕吾楯之堅,莫能陷也。
〔日〕私の盾の堅さたるや、何物も貫くことはできない。
また「ふつう話題の内容を限定する何らかの語を前に置く」といふ説明があつたとほり、その語は無くても大丈夫です(ある場合の方が多いですが)
例文で、もし話題の内容を限定する語を置くなら「吾楯之堅,天下莫能陷也」となるでせう。
その限定される範圍を廣く取りたい場合。「世の中で・宇宙で」など
〔漢〕天下莫能當也。
〔日〕天下において誰も對抗できない。
「天下・世界・宇宙」などの言葉を、そのまま前に置けば大丈夫です。
「莫」を含む文の作り方
- 我讀書 / 私は本を讀む。
- 鳥飛 / 鳥が飛んでゐる。
- 此可住 / ここは住むことができる。
まづは普通の文を作ります。
場所を表す「此」は、ここでは主題主語としておいて下さい。
- 莫讀書 / 誰も本を讀まない。
- 莫飛 / 何も飛んでゐない。
- 莫可住 / どこにも住めない。
次にそれぞれの主語を「莫」に置き換へます。
- 學校莫讀書 / 學校では誰も本を讀まない。
- 空莫飛 / 空には何も飛んでゐない。
- 宇宙莫可住 / 宇宙ではどこにも住めない。
そして最後に、必要に應じて範圍を表す言葉を付けて完成。
先輩
複數形を成す接尾語「等・們」
人稱代詞の記事ですでに書いてゐるので、そちら參照。
人稱代詞(人稱代名詞)について
まとめ
後輩
先輩
そんなわけで、どんどん代詞を使つていきませう。
▼筆者がよく使ふ指示代詞
- 「これ・この・ここ・ここの」は「此・是」
- 「あれ・あの・あそこ・あそこの」は「彼・其」
- 「不特定の誰か・何か」は「或・某」
- 「ほかの・それ以外の」は「他」
- 「誰も~ない・何も~ない」は「莫」
▼代詞に關する他の記事
人稱代詞(人稱代名詞)について